神戸・三宮No.340★★地図で見る →
生田神社
三宮から徒歩8分、朱塗りの社殿が街のただ中に建つ。日本書紀は創建を201年と伝える。この社に仕えるため置かれた民戸「神戸(かんべ)」が、そのまま街の名になった。

三宮から生田新道を北へ、バーやブティックの並びを歩いていくと、道が朱塗りの鳥居で唐突に終わる。一歩入ると、音量が半分になる。主祭神は稚日女尊。日本書紀は神功皇后の時代、201年の創建と記している。本殿の裏手にあるのが生田の森。いまは小さな木立だが、この名は軍記に出てくる。1184年、一ノ谷の戦いの一環として平家がここで源氏を迎え撃ち、その顛末は平家物語に書かれている。今日この社が知られているのは縁結びのほうで、池に紙を浮かべると文字が浮かび上がる水占みくじには行列ができる。ただ、後まで残るのはもっと静かな事実だ。1995年の阪神・淡路大震災で拝殿が倒壊し、翌年には再建された。以来この神は「蘇りの神」と呼ばれている。
なぜ穴場のままか
神戸に着いた人のほとんどは、この街の名が神社から来ていることを知らない。その神社が、主要駅から徒歩8分の場所にある。この事実ひとつで街の見え方が変わるし、本殿裏の森は源平合戦の戦場でもある。しかも入場無料で、夜明けから開いている。かける手間に対して神戸自身の物語を最も多く返してくれる場所だ。
歴史・背景
日本書紀は神功皇后摂政元年(201年)の創建と伝え、平安中期の延喜式にも名が載る式内社。朝廷はこの社を支えるため「神戸(かんべ)」——租税と労役を国ではなく神社に納める民戸——を与えた。生田神社に付けられたのは44戸。その「かんべ」が土地の言葉で「こうべ」に転じ、集落の名となり、やがて港町の名になった。背後の生田の森は1184年、源平合戦の戦場となっている。1995年1月の震災では拝殿が倒壊したが、1996年のうちに再建され、神戸の復興を早い段階で目に見える形にした場所でもある。
見どころ(歩く順)

- 楼門と朱塗りの社殿
- 門が繁華街をきっぱり断ち切る。奥の社殿は神戸でもっとも撮られている朱色
- 生田の森
- 本殿裏の木立。平家物語に、1184年に争われた地として記されている
- 水占(水みくじ)
- 白紙のみくじを湧水に浮かべると文字が現れる。ここへ来た人がほぼ必ずやる小さな儀式
- 森の中の松尾神社
- 酒の神を祀る摂社。古い藤に覆われ、ここまで歩く人は少ない
おすすめの楽しみ方
これは遠征ではなく10分の寄り道。ここを目的に一日を組むより、三宮での夜の予定に差し込むのがいい。境内がいちばん空いていて光がいいのは早朝で、境内は夜明けごろから、授与所は9時から。正月と結婚シーズンは大混雑する。週末は神前式が多く、たまたま出くわしたら見る価値がある。北野の異人館街は坂を15分上、南京町は15分下。生田神社はちょうどその間に収まる。
実際の行き方
- 大阪駅→三ノ宮駅(JR新快速・約20分)、または新神戸→三宮(市営地下鉄・1駅)。
- 三宮駅→生田新道(北西へ徒歩約3分)。
- 生田新道→鳥居(さらに徒歩約5分)。
- 三宮から北へ歩く
- JR三ノ宮駅・阪急神戸三宮駅・阪神神戸三宮駅のいずれからも、生田新道を北西へ徒歩約8分。三宮へは大阪駅からJR新快速で約20分、新神戸からは山陽新幹線+地下鉄1駅で約30分。
- 三宮へ戻る、または北野へ坂を上る
- 三宮までは同じく徒歩8分。先へ進むなら、北野の異人館街は北へ坂を約15分、新幹線の新神戸駅はさらにその先。
行く前に
- 現金
- 参拝は無料。お守り・水占・御朱印は現金のみで数百円程度。三宮までの鉄道はICカード(ICOCA・Suica)が使える。参道沿いにATMとコンビニが揃っている。
- 定休
- 境内は夜明けごろから日没まで。授与所はおおむね9:00〜17:00。通年開門。正月三が日(1月1〜3日)は非常に混雑する。
- 別ルート
- 楠木正成を祀る湊川神社は西へ2駅。港町になる前の神戸の歴史をもう一枚重ねられる。
- 降りたあと
- JR三ノ宮駅の西口から、神社名の看板が出ている生田新道へ渡り、北西へ。正しい通りに入れば、朱塗りの鳥居は数ブロック手前から見えている。